わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

春はくる

つい2ヶ月前までこんなことになるとは誰が予想しただろう。コロナウィルスの蔓延、オリンピックの延期。相方がオリンピックのチケットが当たったという話をしていた頃、オリンピックが延期になるなんて有り得ないことだった。それこそ地球がひっくり返るようなことが起きないかぎり、有り得ない。でも有り得た。ひっくり返るようなことが起こった。世界レベルでのウィルスの蔓延。映画のような出来事だが、実際、現実の方がよほど映画の展開よりもドラマチックである。





一部の批判を承知の上で書く。このウィルス騒動に関してとても残念に思っている。ウィルスに関係した事柄にではなく、買い占めなどのまるでイベントごとのような騒動について残念に思っている。外出した先での手洗い、アルコール消毒、帰ってからのうがいなどは普通にする。トイレットペーパーの買い占めもティッシュの買い占めもしない。よく寝て、よく食べて、そこそこ運動をする。私はモノが無くなることより、我を失うことのほうが余程怖いと思っている。冷静な判断を失うことが、小さいことを大きくする原因だと思っている。だが恐怖がないわけではないし、買い占めたくなる気持ちも理解は出来る。普段あるものが無くなる恐怖。いつもの日常が失われる恐怖。自己防衛本能として備わっている人間の本質だから仕方ない。だが人間には備わっているまた別の素晴らしい力が沢山ある。変化に対応できる能力、自分を癒し治す能力、自分以外の人間と助け合う能力。素晴らしい能力が沢山あるしあることを本当は誰でも知っている。忘れているだけだと思う。こういう非日常の時にこそ、発揮されるはずの能力が必ずある。私はそれを信じたい派だ。





毎朝、少し早めに家を出てサロンがある方向、つまり朝日に向かって歩いていく。毎日毎日【なんて幸せな時間なんだろう】【すべてが浄化されていく】【太陽は必ず昇る】などと思いながら歩いていく。こういうときは意識のスケールが大きくなるから自分の中の幸福度がMAXになる。ということが、最近わかった。だから早めに家を出れるように朝は早く起きる。サロンについて自分のためにお湯を沸かしてコーヒーを入れる。お湯が沸くまでの間に、サロンの準備を少しする。朝日が差し込む静かなサロンで好きな音楽をかけてコーヒーを飲む。(本当は牛乳入れたカフェオレ)この時間が最高に好きなことも最近わかった。
自分にとって何が心地いいことなのか、どんなに小さなことでもいいからひとつひとつ見つけてあげて、それを実行していくと毎日の幸福度がめちゃくちゃ上がる。ということも最近わかった。自分の【これ好き】を味わえるための努力なら、朝早く起きることも全く苦にならないこともわかった。







春はくる



恐怖や不安を軸に生きるのか、これ好きや夢や希望を軸に生きるのかであれば、きっと誰もが後者を選ぶ。でも気をつけないといけないのはこれ好きや夢や希望を軸にする生き方を誰かが用意してくれたり、天から降ってくるものではないということだ。
仲良しのKさんのお話が興味深かった。Kさんのお母さんが【あなたは好きに自由に生きてると思ってたけど、あなた自身が好きに自由に生きれるように取捨選択してきたって
ことなんだね】という内容のことを仰ったと。


まさにそうだ。その取捨選択が楽しいことばかりであったはずがない。時に苦しい、悲しい選択があっただろうし、なんで自分がこんな目に遭わなければいけないのか、と誰かを責めたくなることもきっとあったと思う。それでもお母さんの目から見てKさんが輝いた人生を送っているように見えるのは、Kさん自身がどんなに苦しい時も人生の軸を希望に傾けて生きてきたから。どんな場面でもそちらに向いていく選択、決断をしてきたから。その生きる姿勢がまた周りの人の希望になるのだと思う。






Life is wonderful.

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