わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

あんたはあたしの推しなんだから

月曜日の14時、駅前のモスバーガーにいる。朝からサロン内の撮影があった。デザイン会社の方が建築の雑誌に我らのサロンを載せたい、とのことでそうなった。我らのサロンデザインはどこからどう見てもオシャレなのだが、その作り自体が専門家から見ても面白いらしい。LGSという建物の基礎に使うものを全面に押し出したデザインなのだが、本来、このLGSは表に出さない素材なのだ。それを敢えて見せ、お手洗いなど外観がLGSの城のような個室空間になっている。LGSを知っている人からすれば「ほほう!!なんだこれ!!!!」という反応になる。その面白い作りのサロンを雑誌に載せる、とのこと。まだ出来て1ヶ月だが、いよいよ我らの手の中を離れていく。いいぞいいぞ、と思う。もっともっと羽ばたいてくれ。私たちがいなくても、沢山の人々に支えられ生きていく場所になっていってほしいと思う。






先日、ご来店のお客様、約10年ほど担当させて頂いているOさんから面白い話を聞いた。出会った当時、彼女はまだ高校生だったけど、今は立派に社会人である。仕事を掛け持ちしながら、本職の転職も考えている。彼女は自称オタクなのだが、そのオタクの感情についての解説を受けた。オタクたちの間では「推し」というのがあって、これは自分が贔屓にしているキャラクターや人物である。いろんなタイプのオタクがいる。同じアニメやゲームの内で複数の推しがいる人もいれば、推しはただ一人だし、その推しは自分のものだから同じ推しを持つ人間とは友達にはなれない、だとか。そして一度大好きな推しが出来ると「貢がせて!!」「養いたい!!」という感情になる。持っているお金をその推しに全力で注ぎ込みたい、という。私はゲーム内で装備を充実させるためや次のステージに行く時のランクアップや、すぐ続編が観たいから課金をすると単純に思っていたのだが、その考えはどうやら短絡的すぎた。もちろんその動機もあるけれど、深い理由で言えば「推しとの関係を存続させるために課金する」のだ。推しに会うためにはアニメやゲームが継続されなければいけない。運営に資金が無くなれば、推しと会えなくなる。だからそのアニメやゲームなどのコンテンツにきちんとお金を(頑張っていいもの作ってくれよ、と願いと愛を込めて)払い、コンテンツを楽しむ。いわば課金(投資、リスク)の手法をとって、しっかりコンテンツを楽しむ(リターンを得る)という考えがオタクワールドの中にきちんとある。だから推しには全力を投じる。そして全力で楽しむという。なんという投資家マインド。どこでそんなことら学んだのですか。オタクワールドでは経済学を学べるのですか。





また無課金の人でクレームをつける人に対しても考え方がある。「文句言うなら金払ってから言え」と言う。そもそも無料で完全に楽しめてしまえば、作り手には何も残らない。作り続けることなんてできない。ボランティアでやっているわけじゃないのだから、楽しめる限界を設定し、それ以上のものを求めるのならば、その楽しむ権利を得よ(課金しなはれ)と言うのだ。大抵、意味のわからない文句を言うのは無課金ユーザーだ、と彼女は言う。ちゃんとしたオタクならば、推しに会うため、楽しむために自分の持っているものを投資するのは当たり前だし、その分しっかり運営側は期待に応えれるよう頑張ってほしい。しっかり払うから、しっかり頑張る。何よりも、運営が出来なくなって推しがいなくなる事ほどつらいことはないのだから、と。なんと素晴らしい、と思った。泣きそうだ、と思った。そこらへんの経営本を読むよりも、いつだって大切なことはお客さんが教えてくれる。

 
  



あんたはあたしの推しなんだから






自分で店をやる、会社を作るとなると、お客さんからお金をいただく。個人店は特に、お客さんからお金をいただくことにおおかれ少なかれ心のブロックがある。消費税が10%に上がったとき、個人商店がいくつもお店を閉めた。長い間やってきたお店であればあるほど、値上げの際にはとても抵抗がある。だから値上げ出来ずに、料金据え置きで自分たちの利益を少ないままにして営業を続け、結果続ける事が出来なくなる事が結構ある。確かに、文句を言う人もいるだろう。だけど作り手がヒイヒイ言いながら一生懸命汗水垂らして生み出しているもの、その価値を理解せずにお金の問題だけで片付けてしまうお客さんと、今後も長い愛ある関係性を築くことなど出来るだろうか。自分がその人にとっての推しならば、「推しを応援するために、応援できるポジションを取りたい」と自発的に思う人と繋がっていたいし、そのファンのために命を使いたいと思う。本質的な価値を見ようとせず一方的に要求を突きつけてくる人ではなく、お互いに想いを感じて高めていける人と共に生きたいと思う。「あんたはあたしの推しなんだから、思いっきり頑張ってくれなくちゃあたしが困るよ!あたしも頑張るからさ!頼んだよ!」と思い合える人と共に生きたいと思う。少なくとも美容師という職業はお客さんに選ばれる職業だ。お客さんのために媚を売るような考えを持ってはいけないが、目の前のお客さんの満足とは何か?は常に追求し続けるべきだ。

満足のために価格を下げることではない。満足のために自分を下げることではない。相手を上げてこちらを下げることで満足するような相手と長い関係は築けない。では私たちが追求することは何か。それは技術を磨くことはもちろんだが、その美容師自身が自分の持つ尖ったところをより一層磨き、尖り続けることなのだと思う。人とは違う感覚を鈍化せず守り続けることなのだと思う。それに伴う痛みを愛し続けることなのだと思う。
 



 
 Life is wonderful.

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