人は他人で傷つかない
ストーブが可愛くて可愛くて。
12月一発目の記事。11月6日に新しいサロンをオープンしてもう1ヶ月。あっちゅーまだった。というより自分でサロンを作ろうか、と考え始めた期間を含めたこの約2年があっちゅーまだった。工事が間に合わず、養生シートの壁のまま、住所電話番号非公開でスタートしたサロンもようやく落ち着いてきて毎日楽しく生きている。養生シートの部分はちゃんとガラスが入ったし、オーロラ色に輝く素晴らしいカーテンも取り付けられて毎日揺らめいている。さあ、ようやくここからスタートである。素晴らしい環境が整ったから終わり、ではない。この場所を活かして新しい物語を作り出すのが私たちの役目である。
お店を作ること=何か事を起こすこと。行動を起こすこと。前回の記事では表面を撫でるような遠回しな書き方をした。お店を作ることで実際に様々な人間の側面を見る事ができた。まずはポジティブな体験。沢山の人の応援、優しさ、暖かさに触れた。工事を担当してくれる会社も会社によって全然スタンスが違う事、オープンしてからはお客様からの労いの言葉、出来上がったサロンへの賞賛の言葉、一生懸命に私たちと寄り添ってくれる人の愛に触れた。こんな経験はなかなか出来ないと思う。事を起こした人間でないと感じる事が出来ない喜びと愛情。そしてそこから生まれる責任感。食べ切れないほどの差し入れの数々、お花、笑顔。この場に立つまでに感じてきた数え切れない葛藤の日々はその一瞬の笑顔で全て帳消しになってしまう。私たちが決断してきたことは間違っていなかったという安心感。本当にここまで頑張って良かったと、ここまで生きてきて良かったと思う瞬間。
人は他人で傷つかない
そしてネガティブな体験。言いがかりをつけられている。そして関係のない方々にもそれを言いふらされている。率直な感想としては、想定内だった。感情面で言うと、悲しい気持ちになった。総合で表すと、予想通りだったし残念な気持ち。
誰かが何か新しい事を始めるときは内容がどんなであろうとひとまず祝福したいと思う。その決断に至るまでの過程をまずは讃えたい。色んな葛藤の時間がきっとあったのだろう、それでも新しく何かを変えようと思ったのだろう、というその一点で祝福したい。素晴らしい、新しいあなたになるんだね、頑張って欲しいな、という思いを持つように心がけたい。(もし自分にとってネガティブな事であったとしても、そこは頑張って受け入れたい)それが感情的に悲しい気持ちになった理由だ。だがしかし、それは私の考えなのでまあ違っても仕方ないなとは思う。
残念な気持ち。関係のない方々を巻き込んでしまった。すいません。本当に。人のことを傷つける発言は、本当の意味でその人のことを傷つけることは出来ない。その発言をする人は、実は自分を傷つけている。相手のことを攻撃している気持ちになって、優位な立場にいるような気がするかもしれないけれど、それは完全な思い違いだろう。
自分の人生に関係のない人のことを悪く言う。悪い言葉には毒がある。陰口というのは、本人の前では言わず、自分達だけで言う。それを聞いているのは自分達であって、自分で自分に毒を盛っている。その毒はその人の顔色を変え、表情を陰険にし、さわやかな笑顔を濁らせる。ネガティブな言葉、ネガティブな態度、それによって蝕まれているのは言われた方ではなく、それを口にしている方なのだ。嘘だと思うだろうか。なら陰口を言っている時の顔をインカメラでチェックするといい。眉根のあたりに影があるはずだから。関係のない人はその表情から、どちらが本当なのか本能的にわかるだろう。人を闇に蹴落とすような発言が誰かの心を明るくすることなど絶対に出来ない。
人は誰でも、光に集まりたいのだ。
何かをはじめるとき。きっと誰にでもそういうタイミングはある。それを「いいね」という人か「それはやめたほうがいいんじゃない」という人かをよく観察したほうがいい。その人の発言はその人の人生だ。誰に相談をするのか、誰に自分の心中を明かすのか、それもよくよく吟味しなければいけない。その人の決断の仕方、行動を観察しておいたほうがいい。ブレーキをかける人はなぜかけるのか。その人自身は納得した人生を生きているのか、その人の人生を見て自分は魅力的だと感じるのか。
大きな決断をするときほど、相談相手は選ばなければいけない。言いがかりをつけ拡散している人は、私との関係が悪い人ではなかった。人間どこでどうなるのかわからないものだ。その人を責めるつもりはない。自分で闇に突き進んでいくのだなあ、と見送っている。
肯定する生き方か、否定する生き方か。
LIFE is Wonderful.
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