わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

ありがてえ毎日

前回の投稿から1ヶ月以上も開いてしまった。10月の後半から11月の半ばまで、私は自分の想定を遥かに超えたスピード感で親愛なる協力者達と共に愛と温もりに溢れた新しい生活環境を作り上げた。新しい生活。新しい習慣。その一つ一つをゆっくり味わうにはもう少し時間がかかりそうだ。だが、現実的に現実は変わった。ここに至るまでの2ヶ月弱を細かく記すことはとても難しい。あまりに色んなことがありすぎたし、出来事を振り返って眺めるにはまだ早い気もする。O型らしくすんごい大雑把にまとめるならばとにかく「毎日が限界ギリギリに必死だった」ということだけだ。曜日の感覚も無い、心の余裕もない状況は私たちをとても成長させた。そして私たちの間に新しい信頼関係を築き、今まで以上に絆を強くした。と、思う。人間が本当の意味で成長するのは限界を超えた時だ。今までの自分の世界には無い景色を見た時、知らない場所で自分が決断をしなければならない時、やったことのないことをやらなければならない時、私たちは脳味噌をフル回転させ、自分の経験や知識を総動員する。目の前のことを何とかするために全勢力を注ぐ。そのギリギリのやりとりが、私たちを今までとは違う場所に運んでくれる。逃げることができない状況は自分の本当の強さと弱さを知るキッカケを与えてくれる。





ものすごくベタな流れかもしれないが、事を興したことで自分の中の何が変わったかというと「ありがたいな」と思うことが格段に増えた。これはもうすこぶる成長率で飛躍的に回数が増えた。3ヶ月前の私の感謝レベルが1だとすると、今の私は感謝レベル6くらいになった。マザーテレサを感謝レベル20として考えてもらえたらと思う。まだまだ私レベルではマザーの半分にも満たないけれど、それでもこの短期間での成長率である。現在、私は絶賛「ありがてえ」キャンペーンの真っ只中で、願わくばこのままありがてえが定着して、感謝することを生業としたい。そしたら間違いなく人生価値組である。
え?いやいや、「勝ち組」なんかじゃねえよ、人生に勝ち負けなんてねえんだよ。「人それぞれが大切にしたいと思う価値を大切に生きてる組」だよ。人に対して「ありがてえな」と思うことを大切にしてて、不幸な人間なんている?大切にされない人間なんている?35年生きてきて私は見たことがないのである。周りの人に対して些細なことでも「ありがとう」「嬉しいよ」「感謝してるよ」っていう人間がものすごく不幸な状況を。だからもしそれで人生がうまくいってない感じの人がいたら是非教えて欲しい。その人と一緒に共に考えてみたい。感謝する人間が不幸に見舞われる理由を。これは予想だが、感謝する人間は自分を不幸だとは思わない。価値組の人たちはどんな些細な日常の中でも価値を見出すのが得意で、それをエネルギー源として生きている。側から見たら大変な目に合っていても、大変な境遇の中で感謝のキッカケを探して生きていくのだと思う。限界まで追い込まれたこの数ヶ月でそういう人間に少しだけ近づけた気がしている。






  

ありがてえ毎日




 
何か事を興す。すると世界から反応が返ってくる。ポジティブな反応ばかりであれば嬉しいけど、もちろんそんなに上手くいかないのが世の常である。世の中には色んな人が、色んな考えがあるのでどんな反応であろうと受け止める。または、受け止めない。どんな反応をするのかはその人個人の主観であって、私のものでは無い。だから何を受け止め、何を受け止めないか決めるのもまた主観であると思う。何を受け止め、受け止めないかはこちらが決めるし、逆にそちらはそちらで決めればいいじゃん、と思う。この考えが正解だ!と決めつけない環境を作りたかった。だがしかし、一緒に時を過ごす人は同じような美意識がある人とがいい。どんな価値観も考えも否定はしないけれど、他人の陰口を言ったり、粗探しをするのを楽しいと思う人とは同じ場所で生きたくはない。そういう方々はそういう方で共に生きていくことをお勧めする。私は他人の夢や希望を応援したり、悩んでいたら少しでも力になりたいと思う。お互いの世界を否定はしないけど、住み分けは必要だと思う。きっとお互いの精神衛生上にとってもその方よろしいと思う。そしてこの度、晴れて自分が望む世界に辿り着くことが出来た。みんなが優しい声をかけあえる世界。優しい、は「人を憂う」と書く。人のことを心配する心がある世界。相手のことを考える。大丈夫かな?と気にかける。もし世界の人が「人を憂う」回数が5%でも上がれば、世界は激変するように思う。煽り運転はなくなるかもしれない。覚醒剤に手を出さないでいれるかもしれない。自分を傷つける人が激減するかもしれない。全世界から戦争を無くそう!なんて大層なことは思っていないが、自分の周りの半径2メートルくらいなら、安らかな場所にする工夫は各々の努力で出来るんじゃないかとは思う。






「感謝は素晴らしい」とか「感謝があれば何でもうまくいく」なんて事は到底思っていない。感謝する気持ちは自分の中から湧いてこないと全く意味が無いと思っている。この「湧いてくる」ところまで自分の状況を持っていくことが大切で、それはきっと同じ毎日の繰り返しではなかなかキッカケが掴めないんだよな。自分の環境を変えるとか、ちょっとリスクある選択をするとか、自分を外界に晒して初めて感じるキッカケを手にするんだよな。私自身はこの今の環境に至るまで、実は丸2年ほどあれやこれやと動いていた。この2年は自問自答の毎日だったし、何も変わらない、まったく何も進んでいない、ように見えて、本当に苦しい2年でもあった。事が動いたのがほんの数ヶ月前である。今は本当に感謝の毎日で自分でも戸惑うくらい「ありがてえ」という気持ちに溢れている。うおー!ありがてえぞー!まじで!!!!ほんとありがと!!!!いつも救われてるよ!!! 
ここに至るまでに沢山の人の協力があった。今でも沢山の人が私たちを支えようとしょっちゅう声をかけてくれる。励ましてくれる。見守ってくれる。なんかあったら即連絡しろと言ってくれる。いっぱいお菓子をくれる。こんな環境で生きていることを心から感謝している。どんなことでも受け止めたいと思う。それは事を興した私たちの責任だろう。ポジティブな反応はもちろんありがてえし、ネガティブな反応はポジティブな反応に一層のありがてえを与えてくれる。つまりどちらの反応にしても、ひっきりなしに感謝を感じて仕方ないことも、全てはこの素晴らしい毎日を過ごすために必要な出来事なのだろう。






どんなことからでも「ありがてえ」を探してやるさ。



Life is WONDERFUL.



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