可愛いバカになろう
平日火曜日の18時。コーヒーとドーナツを買ってブログを書いている。目の前には女子高生と思われる二人が控えめに談笑し、右斜め前には白髪のおじいさんが小説を読んでいる。今月で個人事業主になって2ヶ月が過ぎ、私の元にも住民税の金額決定通知書や国民年金の振込用紙が届いた。予想はしていたが、住民税や健康保険料の金額には度肝を抜かれた。市役所で健康保険の金額を提示された時も「これはヤベエ」と職員さんの前で一度死んだ。何とか体制を立て直し、「まあ、命までは取られんだろう」となんとかかんとか息を吹き返したが、先日送られてきた住民税の決定通知書でまた再び、死んだ。国民年金は一律の金額なので想定内だったが、住民税と健康保険は前年の所得によって変わる(会社負担分も全て自分になる)ので、これは想定外に、大幅に、ブルータス(住民税)お前もか!!と言わんばかりに、増えた。それでも何とか「い、命はと、とられてねえから、、」と瀕死の思いで立ち上がり、立ち上がれば次は開き直り、開き直ればついには「今が人生の底辺だぜ」「そんだけ所得上げれたのだからこれからもっとあげれるぜ」という怖いもの無しのスーパーサイヤ人状態に入っている。人間、2ヶ月で2回死ぬと結構腹がくくれるものだ、と思った。
そんな死んだり生き返ったりの毎日の中でハマっていたのは【おっさんずラブ】という日本のドラマだ。Amazonプライムに入っていれば見放題で観れるドラマなのだが、面白いらしいという評判を聞いて、観た。すると思いのほか面白く、あっという間に見終わってしまった。するとなんと今年の夏に映画が公開されるとのこと。今はそれをとても楽しみに待っている。おっさんずラブの何が面白かったのかというと、主人公のはるたんのキャラが可愛げのあるバカでいいし、はるたんを愛しているダンディーな部長もまた可愛くていい。その他の登場人物も皆どこか可愛らしく憎めない。面白くてほっこりするドラマだった。もし観ていない人がAmazonプライムに入っているのなら、是非視聴されることをお勧めします。そしてもちろんのこと、私はこの面白くてほっこりするドラマからでも「人として大切なこと」をキチンと学んだのでした。本日はそのことを少し共有いたします。
はるたんは春田創一(はるたそういち)という三十路で独身の鈍臭い男。彼が男性陣からモテモテになる話なのですが、なんせ、いい人で要領悪くて真っ直ぐでバカで一生懸命でバカでたまに男らしくてやっぱりバカなんですね。でも何か憎めないの。で、部長も春田の同僚の牧(なんでも出来る男)も春田のことを好きなのですが、春田がやらかした失態なんかを一生懸命フォローしてくれるの。春田は二人に対して特別待遇してるわけじゃないんだけど、上司である部長も、なんでも出来ちゃう同僚も何故か彼をかまってしまうの。でね、私はこれを観て「ぬあ!!!!」と気づいてしまったことがある。「彼のバカさが周りの人の強みを活かして、周りの人の気持ちを救ってるんじゃないか」って。これ、「気持ち」ってとこがポイント。実際に動作としては仕事を増やしたり、迷惑かけてるんだけど、春田のその頑張ってるのにドジっちゃう、どうしようもない短所が相手にとっては一種の癒しなのかもしれない、って思った。春田のドジは「もう、しゃあねえなあ〜まったく〜」って言って「自分がいないとダメなんだなこいつは」みたいな感覚を相手に与えるの。これで春田が性格最悪の男だったらダメなんだけど、もう一生懸命のバカだから仕方ない。これはもう正真正銘の愛すべきバカ男なんですね。このドラマの主人公・春田創一のバカさに救われたのは部長、牧、遅ればせながら、私だった。
可愛いバカになろう
実は自分の要領の悪さや単純さは隠れコンプレックスだった。前にも書いたことがあるけれど、「頑張るな」と言われたら「頑張らない」を頑張ってしまうタイプだし、うまい具合に力を入れたり抜いたりできないし、どれだけ一生懸命にミスがないように管理をしたつもりでも、いつもいい感じに抜けているとこがびっくりするくらいキチンと、ちゃんと、ある。「自分がやらないと」とか「ちゃんとしないと」と思ってはいるけど、自分が思うところに到達出来ない。ああ、また周りの皆様にご迷惑をおかけしまして、、涙、と自分が嫌になることは割と頻繁にある。「他にいいところがあるから」というありがたい慰めの言葉を頂くけれど、あまりにも同じようなことでミスを続ける自分を「他にいいところあるから大丈夫!」と励ますことは出来ない。「これ、何回目よ、、こんなことも出来ないで偉そうに語ってんじゃねえよ、、」と自分で自分を責めることの方が多い。だけどこのおっさんずラブというドラマを観ていると、「出来る人=愛される」という方程式ではないんだなってようやく気づいた。
「出来る人」になろうとしているから、そうじゃない自分を認められない。だから「出来ない」自分は人からも必要とされない、と無意識のうちに定義づけしていた。
だけど、そもそも人を愛する(認める)時ってそんな尺度で測らない。その人が生きている姿勢とか、放つ言葉とか、行動とかで総合的に判断する。その人の周りにある結果は失敗も含めて表面に出たその時のその時期のたまたま目にした結果なのであって、その人の一面を判断する材料にはなれども、その人の全てではない。人にはそれぞれにいい所もダメな所もあって、それを持ってどうやって生きていこうとしてるか、が大切なのだと思う。
以前、こんなフレーズを聞いたことがある。【神様は完璧なものを嫌う。完璧なものを作らない。完璧なものに神様のサポートは得られない。】また【人は得意なことで尊敬され、苦手なことで愛される】なんて夢と希望に満ちた言葉だろう!!と思ってとても気に入っている。これなら誰にでも当てはまり、誰もが特別な存在になれる。何かが秀でて素晴らしいことはもちろん素晴らしいが、人間たるもの、未熟な部分があるから愛おしいのだと思う。その未熟な部分を丸ごと愛されることの方が、どんな地位や名誉を手にすることよりも幸福なことだと思う。
LIFE is wonderful.
0コメント