わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

世界はきっとグレー



今週の月曜日は大阪の南堀江で開催された「美容師によるSNS活用セミナー」に行った。基本的に美容師のセミナーというのはディーラーさんやメーカーさんが主催するものがほとんどで、今回このSNSセミナーを知ったキッカケは4月に流れてきたtwitterでの告知だった。前々から個人的に運用の仕方がわからず放っておいたSNSに関する内容だったので、そのtwitterでのセミナー案内を見たときは即申し込んだ。会ったこともない、知りもしない美容師さんのtwitter投稿である。そのtwitterをキッカケに彼のブログを読み、行動や考えを知る。そしてtwitter上でどんな人達とやりとりしているのかをリサーチする。ある程度どんな人なのか理解した上で、単身でセミナーに乗り込んだ。
行ったことのあるセミナー会場だったので場所で迷うことはなく、すんなりと会場に着いた。会場の入り口でセミナー代を支払い、中に進む。【おお、なんだこの威圧感は、、、】と感じたのは9割近くが男性の美容師だったから。約40名程いたと思うが、その9割が男性。久しぶりに男性が大人数になった時の独特の空気感を感じた。男性には悪いが、正直155センチの身長の私からすれば男性の集団は重い、硬い、苦しい。【ああ、だからソフトな男性ってそれだけでモテるんだな】っと勝手に脳みその中で言葉が聞こえた。考えたのでは無く、勝手に脳みそが喋った。

初めの印象とは裏腹にセミナーは思いのほか楽しかった。現役美容師の講師が2名、それぞれにブリーチカラーとSNS活用の2本立てを同時進行で進めるセミナーだった。お二人とも初めてお目にかかる男性美容師さんで、お一人は佐賀県のサロンでスタッフを抱えるオーナーさん、もうお一人は大阪の一人サロンのオーナーさん。それぞれの個性が際立っていた。佐賀のオーナーさんはユーモアたっぷりのちょっとおかしな発言もしちゃう面白い方で、大阪のオーナーさんは丁寧でキチンとした印象の研究者のような方だった。もちろんメガネはかけている。こういった自分のことをまったく知らない人達が集まる場所に行った時にとても安心する性質が私にはある。他人なのに、話がわかる。初めて会ったのに、共感する。相手の言葉や考えの中に自分のカケラを発見して、ああ私は大丈夫だ、と思う。目の前の見ず知らずの、だけど美容師を一生懸命にやってきて生きてきた人の中に自分と重なる部分を見つけて、このままでいいのだな、と落ち着いた気持ちになる。単身で男性9割のセミナーに乗り込んで安心する、というのも共感を得ることは難しいかもしれないが、事実、身内と
では感じられない種類の安心感を感じる。それはいつもの世界(日常)が全てでは無い、という安心感だ。






世界はきっとグレー



人間の行動範囲はとても狭い。いつもの職場、いつもの同僚、会ったことがあるお客さん、
取引先、友達、先輩、後輩。心地いい空間ではあるが、退屈。守られた世界、似たような価値観、同じ生活の繰り返し。毎日を生きていくにあたってルーティンになることは悪いことではなく、忙しい私たちにとってむしろルーティンであればあるほど作業効率がよい。ルーティンが必要な時期、というのももちろん、ある。人間の行動の意志決定については2種類あると思う。能動的に行動する人間
と、受動的に行動する人間。自ら考え、それを実行する人間と自分以外の人間からの指示によって行動する人間。後者の人にはルーティンの毎日はそれほど苦痛ではないのかもしれない。だが、前者の人には「自分以外の人間が作ったシステム」の中で行うルーティンの毎日はとても生きにくい。
私のように前のサロンで8年もの間、ほぼ放牧に近い形で育った放牧人間にとっては生きにくすぎて困る方式だ。人間にとって毎日生活する環境は【世界】だ。だから自分以外の人間が作った世界でルーティンの毎日を送ることは世界が閉じられたものであると感じてしまう。生きづらい。広げようとしてもなかなか思うように広げることも出来ない。ならば思い切って誰も知らない世界に飛び込み、多少コケたり頭ぶつけたりしながらも、外の世界と自分が触れ合った時に感じる新鮮さを感じたい。これは一人旅の時にも同じように感じることだ。「ああ、、いける!全然、あたし、、、いける!!」という感覚。良かった、いつもの4畳半の世界以外にも世界は広がっている。生きている以上は出来る限り世界を広げていきたいと思う。ルーティンが必要ならばそれも自分で決めたい。だが、小心者だから孫正義氏のような突拍子も無いことが出来るわけではない。それでもなんとか、三歩進んで三歩戻ろうが、新しい世界に触れたいのだ。次は四歩目が出せるかもしれない。世の中にはもっともっと色々な世界が広がっているはずだ。私はもっともっと世界を知りたいと思う。私の中にある常識などひっくり返してくれる世界を求めている。世界は広げれば広げるほど、きっと二極論では語れないようになるのだと思う。二極論というのは【こちらが正解、こちらが不正解】【成功と失敗】【白と黒】 今まで34年の人生を私は二極論で生きてきた。白と黒に分け、敵と味方に分け、成功と失敗に分け、出来る人と出来ない人に分けてきた。
世界を広げたい、と思いながら。大きな人になりたい、と思いながら。でも二極化してしまえば、一方は認めて、もう一方は認めないことになる。正解しか取らない選択は、大きな視野で見れば果たして「正解」なのか?完全なる白と完全なる黒しかこの世に存在しないのか? それって、世界、狭いんじゃあございません?ということに思い至った。
自分で世界を切り分けていたのは、そうです、私なんです。




34年程度しか生きていないくせに、何をわかった気になっていたのかと自分で自分に全力のデコピンを食らわしてやりたい。



ユーモア系美容師さんも、
研究者系美容師さんもどっちもいい。
行動する人間も、
しない人間もどっちもいい。
ルーティンにしても、
しなくてもどっちもいい。
成功しても、失敗してもどっちもいい。
落ち込んでたら、落ち込んだままでいい。
死にたいと思ったら、
おー!!死にてえ!!!と叫べばいい。




それは物事の表面層であって、目に見える範囲の結果でしかない。
きっと本当に大切なことはそこに至るまでの間、自分の心の中でもう一人の自分とどのようなやり取りをしたか、ではないか?と今のあたくし思うとります。


LIFE is wonderful.

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