わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

両方とも大切

最寄駅から5つ離れた駅前のジャンボカラオケ広場にいる。34歳にして初めての【フリータイム一人カラオケ】に挑戦してみた。昨日、11時のオープンに合わせて予約をし、3時間ほど歌い続けた今、昼ごはんとしてジャージャー麺を食べた。一人で歌い続けることは予想以上に大変だった。せっかくなので全国バトルをしたり、精密採点なるものを導入して自分の歌唱力がいかほどのものなのかと試してみたがこれが予想外に点数が悪い。中の上、くらいに思っていたがとんだ勘違いであった。中の下、または下の上くらいの採点を付けられながら、【なんて思い上がった感覚で歌を歌っていたのか】と少しだけ恥ずかしくなった。いや、でも待て、そもそも私は【きちんと歌う】ことに命をかけたことはただの一度もない。【感情を込めて歌う】ことにこそ命をかけているではないか。そう開き直りながらも少しだけきちんと歌うことを心がけたら、採点画面には【情感たっぷりで聴き入ってしまう魅力があります】と出た。ほら見ろ。ほーれ見ろ。、、、、そうか、やはり他者が聴いたときの聴こえやすさも大事なんだな。。と次回からは【きちんと歌う】ことも念頭に入れて歌を歌うことにしようと思いなおした。







先週、占いの先生から頂いたお言葉【頑張ってはいけない】を頭の中に叩き込んで毎日を過ごしている。朝晩唱える私のための呪文も欠かしていない。たった10日ほどではあるが、少しずつ立ち位置が変わってきたと実感をしている。今までなら感情が昂ぶっていたような事で昂ぶらないようになってきたし、何もしない自分を少しずつ認めることが出来ている気がする。私はひとつコレと決めたらそればかりが頭を占めてしまうタイプなので【頑張ってはいけない】と決めたら頑張ってはいけないを頑張ってしまう。物事を宙ぶらりんのままにしておくことが出来ない。答えを出さないまま放っておけない。【頑張らないとは如何なるものか?】という哲学すら始めてしまう。これは私が親しくお付き合いしていただいている方々も似たところがあるのではないかと思う。似た者同士だから一緒に過ごせるのだと思うし、完全にこれは自慢だが、自分が親しくお付き合いさせて頂いている方には本当に真面目で頑張り屋さんしかいない。なので私のこの成長期をキッカケに、皆様にも【頑張らない】を始めて頂けたらと思う。正直、難しい。今までの思考回路を根本から変えていく作業になる。苦しい。わかんない。これでいいのか。こんなのでいいのか。新しい世界では誰もが初心者だ。恐る恐る一歩ずつ足元を確かめながら、赤ちゃんが初めてタッチをしてこけそうになりながら少しずつ前に進むように、私たちは【頑張らない】世界に足を踏み入れていく。失敗してもいい。こけてもいい。やったことが無いことは、初めはなんだって難しい。









両方とも大切


今まで頑張ってきたのは何のためか。自分のためか。他人に認められるためか。親に認められるためか。親や他人に認められれば、そこで頑張ることを辞めるのか。親に「頑張っているね」他人に「ストイックですごいよね」と言われることがゴールであるならば、その言葉を聞いた瞬間に力を抜いてもいいはずではないか。他人の目が届く、見える範囲だけで頑張っているふりをすればいいではないか。仕事で必要ならばまだしも、プライベートにおいて自分の中でルールを作ることも、todoリストを作ることも必要ではないのではないか。では何故そこまで自分の行動を管理して、整備しておく必要があるのだろう。答えは自分で自分を認めることが出来ないからだ。ありのままの自分を認めてあげることが出来ないから、タスクを課すことで、それをクリアさせることで、よくやってる自分自身を認めようとする。自分を保とうとする。私の場合はまったくもってその通りで、自分自身に絶対的な肯定感が無い。親に愛されていないとか、友達がいないとか外的な要素ではなく、自分の内面にある肯定感の話だ。それが不安なために様々なことに手を出し、心の奥にある穴を埋めているのだということにようやく、辿り着いた。




頑張らない、ということは自分にタスクを課さないということだ。
何もしなくても、
自分には絶対的な価値がある。
自分は普通にしているだけで、
誰かの役に立っている。
生きているだけで、愛される。
何もしなくても、生きていていい。




自分の存在を
【生きていていいんだよ、と】
許すこと。





これを受け入れることは、とても難しかった。だが、約10日間に渡って苦しんでいる私の前についに昨日サプライズプレゼントが送られてきた。


毎月のように来てくれるショートカットの女性のお客さんに質問をした。その女性には20代前半の娘さんがいる。投げかけた質問は【空いた時間に何をしていますか?】その女性のお客さんは【YouTubeでバレエの映像を見たり、ひたすら毛筆で文字を書く動画を見ている】と言った。内容も面白かったが、それよりも衝撃だったのは私がひとつ質問をして話を聞くだけで、その女性は興奮して発汗するほど楽しそうにその話をしてくれたのだ。その楽しそうな笑顔を見たとき、これか!!!!!と思った。何かしなければ、と思って準備していなくても人は十分に喜んでくれる。向き合うだけでいい。たとえ私が掃除や洗濯をきっちりしていなくても、料理が下手くそでも、1つやったら3つ忘れる性格でも、きっと大丈夫なのだ。自分にルールを作って愛そうとしていたのは自分だけで、周りはそんなこと何一つ、望んではいない。自分にタスクを課しルールを作っていた自分が、一歩後ろに下がった気がした。


自分にタスクを課していた自分はどこから来たのか。
この存在を否定してはいけない、と思う。これは幼い頃誰かの心無い言葉や行動で傷ついた時に、もう二度と同じように傷つきたく無いという思いから生まれたもう一人の小さな自分だ。幼い自分はこの弱い自分を守るために、強くならなければいけなかった。傷ついた自分を鍛えるために生まれたのだ。だからこの存在を否定してはいけない。きっと弱い自分も、強い自分も遠い昔、同じ様に傷ついたのだ。それを両方ひっくるめての今の自分であるし、両方ひっくるめて【もう大丈夫だよ】と言って認めてあげたいと思う。







LIFE  is   wonderful.

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