命を使いきる
書いては保存し、最後まで書き切っていない文章がいくつもある。書こう書こうと思うほど、何から書いていいのかわからなくなり、途中で自分自身が迷子になってしまう。だが、日々の中で感じる沢山の感情や溢れてくる思いはとめどなく、自分自身の中だけに留めておくには私の中にある感情タンクは容量が少なすぎてやはり何らかの形で外に溢れでてしまう。インスタやツイッターやブログや何やらかんやらを通して。
自分の考えていることや想いを外に出し表現するということは私にとってとても当たり前の日課のようなものだった。それは幼い頃はお絵かき。そこにストーリーが組み込まれ、小学生の頃になると将来の夢は漫画家だった。自分で思った通りにシナリオをイメージし、キャラクターを作る。一人っ子の私の遊び相手は漫画と新聞に挟まっている広告(裏に印刷が無いもの)とボールペンと筆ペンだった。小学校の高学年になると仲の良いお友達とお小遣いを出し合い、漫画家が使うトーンと専用の用紙を買った。トーンの貼り方もイマイチよくわからなかったし、専用の紙に書いたところで印刷の仕方も分からなかったので仲良し漫画家チームは自然消滅した。ちょうどその頃に安室奈美恵が一斉を風靡し、私も例に漏れず、安室ちゃんにハマってしまい、安室ちゃんに何とかして近づきたいという思い半分、漫画を書いていた時に髪型を書くことが好きだったことが半分の理由で将来の夢を美容師に方向転換した。
そしてなんだかんだで美容師歴はいよいよ17年目になる。
美容師と漫画家にも共通点がある。自分の描くものを具現化することだ。頭の中で描いたイメージは漫画ではイラストになり、美容師では立体のヘアスタイルになる。イメージし、デザインし、クリエイトする。この過程を心底楽しめるタイプの人間はちょっと、いやかなり主張が強い。そして私はそういう人間がとても好きだ。イメージし、デザインし、クリエイトする。流れはとても単純だがやればいいという話ではない。その一連の流れは「生み出す」作業に「命をかける」ことと一緒だ。その作業に全身全霊で臨めるタイプの人間はごく僅かで、しかもとても魅力的な人が多い。一流のデザイナーや職人がカッコイイのはその仕事に命をかけているからだ。彼らにとって生み出したものは自分の一部であり、命が吹き込まれたものだ。だから生み出す一連の流れにものすごくこだわりを持つ人が多いのだと思う。だが、その「生み出されたもの」に対してこだわりを持っているかというとそれは違うかもしれない。あくまでそれは結果であって、次のものが生まれる時にはそれはもうすでに過去のものになる。過去は参考資料にはなるが未来は作らない。常に「今の選択」が「未来」なのだ。
命を使いきりたい
沢山の想いが書きかけの文章の中で生きている。言葉は上手くまとまらず、結論を出すことも出来ないがそこに宿る熱量は心の中でずっと呼吸している。根底に共通しているものだけでもここに書き散らしたい。この世に生まれ、いただいた命を使いきりたい、ということ。命を使い切るというのはどういうことか。そこに社会的な評価制度は設けたくないが、 あくまで心の中の基準として持っていたいのは「自分の心に素直であること、それと行動を一致させる」こと。好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言い、他人の基準で自分の人生を計ろうとしないこと。自分の心に素直になって己の幸せの定義を見つけることできっと他人の幸せも尊重出来る。自分を大切に出来る人は同じように他人も大切に出来る。自己犠牲の精神などまったくもって必要ない。誰かが自分のために我慢して自分を幸せにしてくれようとしている、などと知って誰が感謝など出来るだろうか。いえいえ、あなたの人生はあなたのものなのだからあなたのために使ってください。もしそこで一緒に楽しめることがあるなら、お互い協力しましょう。そうして限りある人生を活かし合いながら生きましょう。自分が我慢すれば、なんて考えはいただいた命に対して失礼だ。だけど人間だからそんなに潔くスパー!スパー!と片付けられることもなかなか難しいのはわかっている。私がそうだから。だからこそ葛藤する。でもここに書き出すことによって、私は今の自分の立ち位置を確認出来る。スパー!と生きたいんだな。。そうかそうか。。よし、そんな人間になれるように命かけて生きてみっか。
それでは、また。
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