わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

見つめていたい

今日は大阪難波の大好きな場所、スタンダードブックストアでブログを書いている。ここには10年位通っていると思うのだけど、いつ来ても静かで適度に話し声や洗い物をする音が聴こえて、オープンスペースだけど各々プライバシーを守っている感じがとても気に入っている。私の大好きな文房具やいつ売れるのだ?一体誰が手に取るのだ?というジャンルのマニアックな本が置いてあったり、ちょっとゴチャゴチャしている感じも良い。地元から外に出てくると思うのだけど、自分のことを放っておいてくれる空間というのは妙に落ち着く。私が何をしようがどんな格好であろうが誰も気にしない。それぞれがそれぞれのペースで人生を進めていて、たまたまここに居合わせただけ。だけどこんなに沢山のお店がある中で、わざわざ駅から歩いて、この地下の目立たないカフェを選んでくるところを考えると、ばらばらの人生を歩んでいるけど、どこか見えないところで何か共通のものを求めていたりするのかな、と深読み五所尾は考えてしまう。右斜め前の彼女は茶色い髪を綺麗に巻いて、発色の良いリップをつけてファッション誌を読んでいる。私と同じ人類科の種族とは到底思えないけど、それでも何か共通のものがあるのかな。とか。







ここに来たのには理由がある。フラッと立ち寄ったわけでは無い。フラッと立ち寄るために大阪ー奈良の往復交通費をかけてアジア人がごった返している都会にわざわざこない。10年位通っている、と書いたが10年位前はここにファッションやトレンドのインプットをしに来ていた。20代半ばの頃の私はスタイリストになったばかりで、自分を認めてもらうために売上を上げなければいけなかった。そのためにはファッションの勉強をしなければならなかったし、自分も毎月新しい服で着飾らなければならなかった。10年前の難波は梅田よりまだトレンドポイントとして優勢だったし、当時の私にとって難波で色々なアパレルショップを見て、疲れた体をスタンダードブックストアのカフェスペースで癒しながらファッション誌を見る、というのが【イケてる美容師の休日】の過ごし方のひとつだった。つまり10年経っても私がここにくる理由は【イケてる美容師の休日】をもう一度してみることだ。心斎橋筋をブラブラ歩き、アパレルショップに入って物色もした。カメラと友達になるために肩からぶら下げたデジタル一眼レフの重さに何度も持ってきたことを後悔した。待ちブラには重い。(せっかく持ってきたから道頓堀で撮ったけど) 





【イケてる美容師の休日】をなぞった理由は【今現在の自分】から離れるためだ。難波に出てくることも今はほとんど無くなった。新しい服を買うのもネットで買えるし、ファッションだってインスタで勉強できる。ヘアスタイルだってなんだってネットで調べれば教えてくれるのだから、現地に行く必要性はない。遠くにあるものがすぐに手に入る世界で、むしろ自分の世界はドンドン狭くなっていくのを感じているのは私だけだろうか。電車で時間をかけて難波に来たし、寒いし荷物は重いし、外国人ばっかりだし、【必要性】で考えればきっと要らないことばかりなのかもしれない。でもふとした瞬間に感じる心の動きだったり、今見上げた光の感じが美しかったり、その刹那に感じる手に取れないし形に出来ないようなことたちを私はきっと求めていたのだ。体も意識しないと動かせないように、心だって意識しないと感じないし動かなくなってしまうんじゃないの?自分の内側からエネルギーを発して、命を生き尽くすにはきっとそういった心の運動が必要なんだ。多分。
しかも心の運動にはたっぷりの時間がいる。筋肉みたいに【コレ、15回×3セット!!】で終わったらプロテイン飲んで、続けたら筋肉付くって問題ではない。自分の心が動いているのを感じて、それに浸って味わう時間。その味を誰かと共有したり、教えたい!って外に出ていくまでには熟成させる時間がかかる。そんな時間が今を生きる私達にはものすごく必要なように思うんですよ。(なぜ敬語)











見つめていたい


10年前にこの場所に通っていた時、私は【一人前の美容師になりたい】と思って勉強を続けていた。毎週のように講習に通い、ファッション誌を眺め、帰り道でモデルハントをする。当時はそれを苦しいと感じた時もあったし、でも、その中でしか得られなかった学びも沢山あった。結果、今ではよかった、と思っている。そう、苦しいことも過ぎてみれば割と楽観的に見れたりするものだと思う。いやあ〜しんどかったよ!休みなんて無かったからねえ!よく倒れなかったもんだ!って。その根底にあるのは【一生懸命やった】っていう気持ち。どんなに休みがなかろうが、お給料が安かろうが、自分の【こうありたい】に忠実に生きていたのが良かったのだと思う。だってモデルハントも講習も行けって言われたんじゃ無かったし、行ってない人もいたんだよね。それでもそれをやろうと思ったのは自分で、それでしんどい思いしたのも自分で、結果良かった、って評価したのも自分。この文章を読む人は【全部自己責任ってことか、、ツラ、、】と思ったりするんだろうか。そう思うのも自分だし、自由なんだと思う。つまり「どんな選択をしても自分」ってことで受け入れる。間違いなくこれは間違いないな、と思うのは待っていても誰も自分を幸せになどしてくれない、ということ。これはまぁまず、間違いない。親だって無理、子供だって無理、まして他人である友達や職場の人間が自分のことを幸せにしてくれる、なんていう幻想を無意識に願っている可能性があるなと思う方は今すぐに目を覚ましなはれ!はい、おはよう!!



自分はどんな選択をしたいのか、自分の幸せと感じ るポイントはどこなのか、つらいことに出会った時にどんな対処をするのか、、、その自分の「ありかた」を見つめて生きていきたいし、もし誰かがこういった考えに共感してくれたら五所尾仁美はとても嬉しいなあと思う。どうぞ仲良くしてください。









一緒にいこうよ、楽しいから。

仁美

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