わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

何のために自分を使うか

【ファンスタスティックビースト】という映画を観に行った。【ハリーポッター】シリーズの以前の物語だそうだが、私はハリーポッターさえきちんと観ていない。しかも今回のファンタスティックビーストは2作目だそうで、予備知識がここまで無いまま映画館に来る人は珍しいのだろうなーと思った。結果、とても良かった。主人公のニュートはポワンとしていてあまり強そうではないし、悪者役のジョニー・デップはやはりカッコイイし(ジョニー・デップが出ていることも知らなかった)、悪者の要になりそうなエズラ・ミラーは繊細でちょっと狂気じみた風情があって男前だった。個人的にはニュート役のエディ・レットメインよりもエズラ・ミラーの方が顔は好みで男前だと思う。悪者の方が男前で繊細というのはなんだか切ない気分にさせる。めちゃくちゃブサイクだったらやられていても何ともないけど、繊細で美しい男子が己の苦悩に悶えつつダークサイドに落ちていく様子は、乙女心を捉えるし、エズラ・ミラーはそういった役がピッタリだ。






映画の中に出てくる場面で登場人物がダークサイドに落ちていく描写がある。誰もが生まれもって悪者なわけではなく、少しずつ少しずつ闇のカケラを自分の中に溜めて行って、それがマックスにさしかかった頃、ダークサイドへの道を誘導してくれる甘い出来事が起こる。ちなみにダークサイドに落ちる人というのはある種共通点があるように思っていて、それは孤独に囚われた人。孤独に囚われた人は自己顕示欲で自分の存在価値を示そうとする。自分を満たしたいという欲が相手から何かを奪おうとする。ダークサイドに落ちなかった人は逆に自分のためには戦わない。誰か、または何かを守るために戦う。守るためなら自分の命はいとも簡単に投げ出す。ダークサイドは逆に俺かお前が死ななければならないのなら、俺のためにお前が死ねと笑顔で相手を殺めるのだろう。



昔読んだ美輪明宏氏の本の中でこの世には【天界族】と【魔界族】がいると書いてあった。で、魔界族だからと言って怖い顔をしているわけではない。天界族だからといって優しい顔をしているのではない。自分の好き勝手に行動している人が魔界族なわけでもないし、人のためを掲げている人が天界族なわけでもない。細かいことは忘れたが、私は自分の中にある基準を悪い意味でひっくり返す人を見ると【あ、魔界族だ】と思う。私の方から攻撃もしないし、周りに悪口も言わないが魔界族なので近付かない。ダークサイドに落ちる際の誘惑のように、魔界族は引力が強いので気を抜くとあっという間に持っていかれる。
じゃああなたは【天界族なのですか?】という問いになると思うのだけど、ええ、そうです、私は天界族です。私の中での天界族の定義は【自分の人生を全うする人】です。他人の弱みに付け込んだり、ちょっかい出したり、圧力かけたりしてる暇なんてない人達。自分が今より少しでも良くなるにはどうしたらいいのだろう。どうしたら周りの人を喜ばせることができるのだろう。そう言って自分の顔面を千切って差し出せる、アンパンマンのような人達だと思っています。私自身はまだ天界族の下っ端ですが、人を騙すくらいなら騙されたいし、自分か相手が死なないといけないなら
死ぬと思う(相手はけっこう選ぶよ)。この世を自分の思い通りにするより、この世の中に五所尾仁美という人間を投下して、どうやって【おもしろき ことも無き世を おもしろく】するかに使いたい。それで皆んなが楽しんでくれたら良いって思っています。だからおもしろい話は
どんどん五所尾までお持ちより下さいませ。





最近本当によく思う。与えられるよりも与える側の人間になりたい。あ、でもちょっと待てよ。与えるものって実はほとんど何も持ってない。いやいや、持ってる持ってる。打ちのめされて、落ち込んで、しばらく撃沈状態でも浮上するエネルギー持ってるー!!!しぶとさ持ってるー!!!物分かりの悪さ持ってるーー!!!鬱陶しいくらいのまっすぐさ、持ってるーーーー!!!ということで、元気が有り余っていることはおわかりいただけたでしょうか?  有り余る富も人が羨む美貌もスタイルも強力な後ろ盾も地位もありませんが、斜め45度の目線で34年間生きて培ってきたバイタリティは全く衰えてないし、むしろ使い道に困っているのでどうか元気な天界族の皆さん、魔界族になりそうな人を一人でも多く天界族に巻き込めるように私と頑張って行きましょう。






ついてくる?




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