わたしの 何かが 誰かを照らす

そういうものにわたしはなりたい

答えは全て正しい

10連休ゴールデンウィーク7日目の今日、私は10連勤明けの1日休みだった。朝から張り切って1時間ほど外にジョギングをしに行った。ジムで走るのと地面を走るのとはやはり違う。地面を走るほうがよほどしんどい。気を抜けば蹴つまずいて転んでしまいそうなので慎重に走った。数年前はよく早朝に走っていた。自宅での軽い筋トレは一人暮らしを始めた26歳の時から細々と続いている。痩せたい!という願望よりはむしろ今より醜くなりたくないからと、蹴つまずいて転んで骨を折る、というたまに聞く噂の的には死んでもなりたくないからだ。ジョギングというただ走る行為は死ぬほど嫌いだが、それで足腰が強くなって、中身の骨や肺まで鍛えられるのだから一石二鳥だと思って続けている。どんなことにも共通していると思うのだが、大体の場合、人間が嫌がるつらいこと=結果的に良い方に転ぶことが多い。

今日は高校時代の友人数名と高校時代を記録したDVD鑑賞会をした。部活の試合風景、文化祭で踊ったダンス、それらの練習風景を見ていると18年前も昔のことなのに色んなことを鮮明に思い出す。そして今となっては試合の映像を見ながら18年前の自分とは違う見方をしていて、ダンスの映像を見ても同様にあの頃とは違う見方をしている。面白がりながらも、懐かしがりながらもあの18年前に共有していた時間は宝物だなと思った。またこうやってゲラゲラ笑いながら一緒に時を過ごすことが奇跡だと思った。あの頃のように毎日一緒にいないのに、3日前に会ったかのように打ち解けて話せる。永遠というのはここにあるのだなと思う。18年前のあの頃からの現在。私たちは18年前のお馬鹿で生真面目で小心者だった女の子達を永遠に忘れることはない。どんなに時が過ぎても私のベースはあそこにある。お金も無かったし毎日部活だったけど、すべてがそこにあった。



答えは全て正しい




さて、質問です。あなたは今、自分の人生に満足していますか?満足していないとすれば、それはなぜですか?何がどうなれば満足しますか?その満足のためにあなたは自分が出来る範囲でどのような取り組みをしていますか?その取り組みに結果が出たら本当に満足しますか?  、、、、驚いただろうか。実はこの質問をもう何ヶ月も自分自身に問うている。 私の答えは「満足していない」だ。実は生活の内のほとんどの瞬間、私は100%満足していない。では満足するときはいつか?答えはシンプルだ「誰かが喜んでくれた時」その刹那しかない。約35年も生きてきて、そんなに満足していないのか!と思うだろうか?ではあなたはどうですか?常に100%満足して生きていますか?今日やり残したことはまったくないですか?本当はあれをしたかったのに、、、とか。きっとあなたも私と似たようなものではないだろうか。こんなふうに言われてちょっと嫌な気分がしたかもしれない。でも、この問いを自分に突きつけないことには、「自分の満足」すら把握しないまま毎日が一瞬で過ぎてしまう。自分の満足は、実はとても大事なことで「幸福」という言葉に置き換えても良い。自分の幸福もわからないのに幸福にはなれないし、周りの人に幸福を与えることだって出来ない。この人を幸せにしてあげたい!とかこの子を幸せにしてあげたい!とかの前にまず自分が今どうなのかを冷静に見てみる必要がある。
自分の幸福とは何か??、、、カッコよくて優しい彼氏がいる、貯金が3000万ある、外車に乗っている、大きな家に住んでいる、週に1回は外食をする、、、人それぞれの考えがあるので答えは何でもいい。大事なことは自分の答えを出すことで、正解などはない。そしてその考え抜いた答えこそ何よりも大切にしたいことだ。すべての人の答えが正解として認められる世の中になればいい。

高校生のあの時、まだスマホも無かった。
小さな世界だったがそれはそれでとても幸福だった。
あれから十数年間経ってものや便利が溢れかえった今、自分の立ち位置を改めて把握することはとても必要なことではないか。





LIFE is wonderful.

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