次の一歩を大きく踏みだそう
イオンモールのフードコートにいる。今日は念願の映画【キングダム】を劇場で観るためにここまでやってきた。過去数年に比べて、2019年になってから頻繁に映画を観るようになった。正確に言えば過去5年間に比べて、だ。前の住居の時にはインターネット回線を引いていて、月額1000円のHuluを契約していたので頻繁にPCで映画を見ていた。もともと映画はとても好きで多い時は毎月4作品くらいは観ていた。基本的にホラーやスプラッター以外は近未来も恋愛系も何でも観るタイプだが、好みのストーリーは【這い上がる】系だと思う。今回の【キングダム】の原作の漫画は読んでいないが、あらすじを予習しているとやはり【這い上がる】系だった。CMで強調されている言葉が【奪還せよ】なのだからそりゃそうだろう。誰かから何かを取り返して、何かを何とかしたいのだろう。
まだ観ぬ【キングダム】の予告編を観ていると、主人公がなんだかとても怒っている。怒って怒って、相手の悪者から何かを【奪還する】らしい。その奪還したい何かを取り返して、主人公が何をしたいのかはわからないが、とにかく相手は自分とは桁違いの身分の人間で持っているもので比べるとまず勝ち目などない。それでも挑む。それくらい怒っている。勝ち目の無い戦いを【挑む】熱量と同じだけの熱量であるその【怒り】を私は尊いものだと思う。先日の日曜日は市議会議員の選挙日だったのだが、前日の土曜日は立候補者が駅前の演説で白熱していた。お店の中にいては何を言っているのかまで聞き取ることは出来なかったが、その怒声に近い演説には何かしらの強い想いが乗せられていたのだろう。今の市政の何かに強い想いがあるから怒声をあげて訴えていたのだと思いたい。現状の何かを変えるには、それくらいの、叫びたいくらいの、勝ち目が無くても行ったるでくらいの強い想いが必要なのだと思う。そして強い想いというのものは、大抵、何もかも満たされている環境では生まれない。コンプレックスだとか劣等感だとか欠乏感だとか、ネガティブな想いからしか誰にも止められないような強力なエネルギーというものは生まれないのでは無いか、と思ったりしている。
現状に対する不満。生きている環境、自分の容姿、人間関係、経済状況、、、私たちを取り巻く状況は様々だがそこで生きることで幸福感を既に感じているとすれば、多少の不満はあれども状況を打開するための行動をとろうとはしないだろう。もしかしたら、今よりもっと悪くなるかもしれない。周りに冷めた目で見られるかもしれない。友人が離れていくかもしれない。親に叱られるかもしれない。そのリスクをとってまで変化を望むことはとても怖い。私自身ももちろんそのリスクを考える。考えて考えて考える。だが、いつももう一人のゴショオヒトミがひょっこり顔を出す。【その選択で後悔しないか?】【その選択は自分をドキドキさせてくれる選択か?】【現状のまま、あと何年生きるつもりだ?】と。【現状の生き方を続けて見える未来は、自分に夢や希望や生きる楽しみを見せてくれるのか?】積もっていた小さな不満にふつふつと種火を灯してゆく。
↑念願のオンデーズのサングラス
次の一歩を大きく踏みだそう
キングダムの主人公は奴隷出身だ。そこから大将軍になるために自分を鍛え、自分より強い相手に戦いを挑む。奴隷で生まれたら死ぬまで奴隷。誤解を恐れながら言えば、それは奴隷であることを自分に許しているからその人生を歩むのではないか。私はダサいからずっとダサいままだ、とかオレは勉強が苦手だから賢いやつと生きる次元が違う、とか。自分が初めに立った場所から抜け出すためには強くならなければいけないが、【大将軍になる】と決めた時からキングダムの主人公の人生は【普通の奴隷】から外れていく。映画はもちろんフィクションなのでリアルの生活と完全にリンクさせようなどと思っていないが、何かを目指し夢見ることから次の一歩が変わってくるのは同じでは無いかと思う。右に出すのか、左に出すのか。上を見るのか、下を見るのか。物心ついた時に置かれた環境は、基盤にはなるがそれから先の人生の全てを決めてしまうことはない。ある程度見回して状況が掴め、もしここじゃない、と思うなら自分の求めるものを得るためにどんな想いも燃えるエネルギーに変えて、どうせなら次の一歩を大きく大きく踏み出したいと思う。
LIFE is wonderful.
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