それも、愛したい
火曜日夜の20時29分自宅にいる。毎日毎日色々なことを思うのだけれど、いざ言葉にしようとすると何が言いたいのかまとまらず言葉に出来ない。
前回の投稿の文章も自分の納得レベルの最高が5だとしたら2くらいのレベルのまま公開してしまった。読んでいる人からしたら何が言いたかったの?と思った人もいるのではないかと思う。その通りである。書いた当の私ですらフワフワしてんな〜と思いながら文章を公開したのだから。オチはつけれないまま、でも、公開した。一瞬、後悔した。でも今さっきになって後悔は消えた。公開した文章、あのままの私である。「永遠にアドレナリンが出ているような状態、というか、脳が覚醒し続けている」と前回書いたが、つまりは沢山の情報が毎日毎日流れ続け、整理されないまま進んでいる。キャッシュをクリアにしないままである。きっと、頭の中は自分が思うより疲労困憊である。
前回の内容と180度反対の内容になるかもしれないが、書く。それが今の自分の状態だ。誰が何と言おうがそれが全てだ。ありのままの私である。今ここではっきりと言う。私はきっとめちゃくちゃ緊張していて、毎日毎日自分のやるべきことに抜けが無いかチェックし続けている。私自身を監視している。多分、とても不安なのだと思う。何度も何度もスケジュール帳を開いてはやるべきことを確認し、計算し、チェックする。それでもうっかり抜けてしまいそうになることもあるが、そのチェックの甲斐もあり今のところは大きなミスは無い。そして確認作業が終わるたび、「自分に出来ることは全部やった。あとは流れに身を任して、その中で全力を尽くすのみ。」と思う。が、そこで完結するのではなく、それを毎日毎日繰り返している。一昨日確認したことを昨日も確認し、そして今日も確認する。同じ内容でも何度だって確認する。それがこの2ヶ月ほど続いているのだから、そりゃまあ、流石に頭は疲れているだろう。不安だ不安だ、という自覚はないし、苦しくも無い。だけど頭が完全にオフになることもない。
ちなみに、私は今この状況の大変さを訴えたい訳ではない。
約1ヶ月後、私の環境はまた大きく変ることになるが、その時に見える光の当たる部分だけでなく、今のこの光が当たらない部分を知っていた方が見ている人も面白いんじゃないか、と思っている。そしてこれは自分自身の記録でもある。超リアルタイムの変化の記録。人間は1日だって同じ場所にいることはない。1秒、1分、1時間ごとに変化をしていく。3年前の今頃、こんな状況になるなんて全く思っていなかった。でもこんなところまできた。
人生は予想出来ないから面白いのだ。(無意識の不安は付いてくるんだけど)
それも、愛したい
どう頑張っても物事を完璧に出来るタイプではない。なのに、完璧にやろうと頑張ってしまう癖がある。張り切ってしまうし、全責任を背負おうとしてしまう。自分で何もかもやろうとしてしまう。甘え方、抜き方がよくわからず自滅することもある。失敗したってまたやり直せばいい、と思う楽天的な反面、ミスしないように完璧にやろうとしてしまう。だからミスがあった時の落ち込みようが半端じゃない。自分を攻撃して、それ以上傷つかないために、身じろぎもできず、硬直してしまうこともある。そう、本当は自分でもよくわかっているのだ。そしてこれからはそんな自分と向き合うフェーズに入ったのだなあと思う。不安がりな自分、完璧にやろうと頑張ってしまう自分、背負いこもうとしてしまう自分。そしてこのまま行っては大変だよってわかっている、もう一人の自分もいる。最近ようやく「あー、また完璧にやろうとしてるなー」と自分で気付けるようになってきた。これは些細なことだけど、大きな一歩のようにも思う。「完璧にしなくていいのだ」といつでもどんな時でも自分に言ってあげれることが出来れば、きっともっとゆったりした心持ちで生きることが出来る気がする。
自分が生きたい世界はそもそも完璧さを求める世界じゃない。歪な世界でいい。色んな考えがあって、色んな方法がある。色んな幸せの形があって、ネガティブもポジティブも平等に尊い世界。白と黒とで、勝ちと負けとで、優劣で分けない世界。そんな世界を見たいから、自分の身をもってそのように生かしたい。この世界に過ちを一度も犯さずに真っ白に生きている人などいない。夢と希望だけに満ち溢れた真っ白な人生はありえない。なのに、いつの間にか表面を取り繕い、見た目が美しいものにこそ価値があるように感じる世界に生きてしまっている自分がいる。その真っ白な美しさは洗練されているだろうが、痛みにも似た「生きている」実感や、どうしようもない苦しみや、誰かを大切に想う情熱を感じさせてくれる世界だろうか。ありのままの自分、箸にも棒にもかからないどうしようもない自分を受け入れて、何者でなかったとしても生きていていいんだと受け止めてくれる世界だろうか。この世に生まれ出た命を使いきっている世界だろうか。【綺麗なもの】だけで美しさの本質を感じることなど出来るのだろうか。
私の座右の銘はガンジーの【見たいと思う世界の変化に自分自身がなりなさい】だ。
インスタのハッシュタグで検索をしていただけば、もれなく私の泥臭い投稿がスマホの画面を埋め尽くすからぜひ検索してみてほしい。気持ち悪いことうけあいである。だけれども、この素晴らしい言葉に出会ってからは、その世界を見たいと願い、ひっそりと胸に掲げて生きてきたことは本当だ。
世界は私が思うよりもずっとずっと大きくて広いはずだから、
その大いなるものに身を委ねて、自分の真っ黒の部分すら愛したい。
自分が見たい世界を創るには、まず自分がそれになればいい。
なれるかどうか、ではなく、なる、と決めるのだ。
Life is WONDERFUL.
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